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瞑想のすすめ その1

私は2016年ごろから瞑想を始めたので、2021年で瞑想歴5年になります。

人生で出会って良かったと心から思えるものの一つが瞑想です。

きちんと実践すれば本当にすばらしいものです。

怒ることがなくなってきますし、不安も減っていきます。

他人に優しく親切にできますし、なにより人生が楽しくなります。

もしご興味ある方がいらっしゃいましたが、ご参考にしていただければ幸いです。

 

私が瞑想を始めたきっかけは、プラユキ・ナラテボー師と魚川祐司さんの共著「悟らなくたっていいじゃないか」の出版記念対談を聞きに行ったことでした。

 

それ以前に魚川(ニー仏)さんの「だから仏教は面白い!」を読んで、「あ、仏教ってホントに面白いな!」と思っていたので、魚川さんの著作には注目していました。

 

そこに書いてある仏教は、私が知っている日本の仏教とはちょっと色合いが違う、テーラワーダ仏教というタイやミャンマーなどで実践されている古い仏教でした。

ゴータマ・ブッダ没後、早い段階で編纂された経典をできる限りそのままに学ぶという超保守的な仏教の一派で、いまだに托鉢で食事をもらい、裸足で歩くというストイックな生活をしています。

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タイで托鉢に同行したときの写真です




テーラワーダ仏教で重視されているのは、ブッダが説いた仏教を学ぶことと同時に、瞑想修行です。ブッダの教えは経典を学ぶだけでは頭で分かっただけで、瞑想によって自分自身の体でその内容を納得する必要があるという考え方です。信仰だけではない、実践主義。仏教は信じるだけじゃなくて、実際にやるもんですよっていう。

 

その発想は、私にとてもしっくりくるものでした。

よくは分からないけれどなんか良さそうだ、と思ったらすぐやるタイプなので、とりあえずやってみよう!ということで、さっそく黙って5分座ってみることにしました。

 

ところが、1分も経たないうちにイヤになってしまいました。

たったの5分もじっとしていられませんでした。じっと座るのがこんなにつらいとは。情けない気持ちになったものの。せっかく始めたんだからと翌日にも座ってみました。

今度は1分くらいは座れたものの、やはり5分も持たず。その繰り返しでだんだんと時間も長くなり、今では20分くらいは普通に座っていられるようになりました。5年で20分かい!と言われそうですが、まあ、そんな感じです。もちろん、瞑想会などでみんなで座るときには30分以上もやりますが、集中が散漫になってくる感じは否めませんね。修行が足りません。

 

瞑想には、大まかに2種類あって、

 一つは、集中力を高める瞑想

 もう一つは、自分を観察する瞑想

です。

 

前者は分かりやすいと思います。グッと一点に集中していく力をつける。一つだけを見てほかは意識に入ってこないようなピーンと張りつめたような状態を目指す。これはこれで非常に有用です。

 

二つ目の観察をする瞑想。

実はこれがゴータマ・ブッダが編み出した仏教の肝になる瞑想で、いわば科学者が実験対象を観察するように自分とその周りを観察し尽くすという瞑想です。これはヴィパッサナー瞑想といわれます。

自分の体が感じているもの、感情、心の動きなど、自分にはいろんなことが起きていますが普段は意識することなく生活しています。意識していないと、いやなことがあったとき、すぐに怒りに取りつかれてしまいます。怒りは、かつての人類が生存するために身に着けた一つの戦略ではあったのですが、現代社会ではあまり必要ではなくなってしまったものです。怒って良いことはないでしょう。

 

観察瞑想は、自分を冷徹に観察する方法です。

腹が立ったとき「なるほど、俺は怒っているな」という風に。第三者みたいに。

すると例えば「どこに怒ったのだろうか」とか「相手はなぜこんなことをしたのだろう」とか冷静な分析が出てくるわけです。そうすると「ああ、俺は侮辱されたと思ったから怒ったのだな」とか「相手も不安なのかな」など、怒りから一歩引いた考えが出てくる場合もあります。

「怒り」と「自分」は別物なんだと見分ける観察力。これを鍛えていくのが観察瞑想です。さらには仏教の要諦でもある、それが縁起によって起こってきたものだという理解もできるようになるんだそうです。難しいですが。

 

ちょっと長くなりましたので、次回、その方法を私の知る範囲でご紹介したいと思います。